
今夜も月が綺麗な夜だ。
有紀子は私とお付き合いをしている女性だ。
彼女との待ち合わせのために、駅前のファストフード店に来ている。
彼女と知り合ったのは、去年の夏のこと。
美しい女性が目に留まり、いつも気になっていた。
最初のうちは、会社の帰りに降りる駅で時々一緒になるだけで、声も掛けられなかった。
暑さもようやく緩んできた黄昏どき、いつものようにゆっくりと駅の階段を下りていると、
空を見上げるまでもなく、ほとんど真正面に大きな満月が街の屋根屋根の間を昇っている。
「うわ、月がでかい。すげえ赤くて綺麗だ」
独り言が口をついて出た。
少し間があって、隣を歩いていた女性が言った。
「本当ね、月が綺麗」
その女性は僕と同じくらいの年格好で、胸元にひらひらのついた黄色いシャツに、
濃いブルーのミニスカートを履いていたる人は、いつも気になっていた女性だった。
次の日も、その女性と帰りの電車が一緒だったらしく、階段を下りる時に女性の方から話しかけてきた。
「今日は月が隠れていますね。昨日はあんなに綺麗だったのに、今日も見られると思っていたんだけど……」
そこまで話して、彼女は馴れ馴れしいと思ったのか、少し恥ずかしそうに言葉を続けた。
「ごめんなさい、昨日の人ですよね」
彼女の深い眼差しと、キラキラとした声音にうっとりと聞き入っていた僕は、
目を丸く開いて女性の顔をやっと見ることができた。
その翌日から、僕とその女性は自然と帰りの時刻が同じになるように電車に乗り、
軽く会釈を交わす間柄になった。お付き合いに発展するまで、時間は掛からなかった。
女性は「わたし、有紀子っていいます」
僕が名前を聞くまでもなく、彼女の方から自己紹介してくれたのだ。
僕は、このような出会いが突然やってきたことを不思議に思っていた。
そんな不思議な出会いから一年が過ぎ、今年も夏がやってきた。
駅前のファストフード店のドアが開き、有紀子が入ってきた。
辺りを見回し、僕を探しているようだ。僕は手を上げ、彼女を招いた。
二人は去年の夏のことを思い出し、出会いの時の話をした。
「ねえ、あの時のことを覚えてる? 月が綺麗だった夜のこと」
「忘れるはずがないよ。二人の出会いの夜だっただろ」
「でも私、ずっと前から君のこと知ってたよ。気になってたっていう、・・・・・・だから」
「そ、そうだったの?」
その後の会話の方向が見えなかった僕は、少し狼狽えた。
「でも君がいきなり『月が綺麗』なんて言うから、私びっくりしちゃった。って、あれって独り言だったのよね」
彼女はクスッと笑いながら打ち明けた。
「私、君に声を掛けられたと思ってドキドキしちゃって、パニックになっちゃったの」
僕が発した独り言を、ナンパの声かけと勘違いしたらしい。
でも、「月が綺麗ですね」なんてナンパする人なんていないわよね。
ロマンチックともちょっと違うかな、思ったことを口に出す人なんだろうって思った。
彼女は続けた。
「っていうか、感動を口に出して言える人なんだろうって気がして。そういう人って、嬉しいときは嬉しいって言える人だと思うの。嫌なときは嫌だって。きっと優しい人なんだろうなって思ったんだ」
そんな理由で交際にまで発展していったのか。
僕はまた感動してしまい、照れながら言った。
「まあ、勘違いだとしても、有紀子と出会えて良かったよ。だって、僕が女の子に声を掛けるなんてありえないだろ。恥ずかしいからな」
僕は静かな男で、恥ずかしがり屋だし、奥手の方だから。
今夜も綺麗な月が出ているが、彼女のはにかんだ笑顔の方が勝っている。
月よりも綺麗かもしれないと思ったが、言葉に出そうになって必死に堪えた。
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思いがけない出会いもあります。
でもね、それはもしかしたら自分よりも一枚も二枚も上手な人だったらどうでしょう。
物語のような出会いがあっても不思議ではありませんね。
残念なことに私にはそのような出会いが無く、65歳の都市を迎えました。
そう書いても、本当は出会いは沢山有ったのだけど
自分が気づかなかったのか、気づかないふりをしていただけなのか。
同じ出会いも「勘違いの振りをして」お付き合いが始まる方が幸せなのでしょうか。