富士山の見える高校


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 帰りの電車から窓越しに見た海は来たときよりも輝いて見えた。

伯父さんは、「もう一泊していきなさい」と言ってくれたけど、ユキは急いで自宅に帰ったのだ。伊豆高原の伯父さんのペンションであった出来事を、忘れないうちに文章にしておきたいと思っていた。

 チョコの声を聴いたような気がしたこと。

いつもは恥ずかしがり屋の自分が、孝史のジェラートのお店で、「あたし、モデルのバイトなの」なんて大胆なことを言ってしまったことなど、なんでも良いからとにかく文章にしておきたかった。
 伊豆高原からの帰りの電車の中、ユキは夢中で短歌を心の中で織り上げていた。そして忘れないようにノートへと書き留めた。

『まだ春の 景色ながらも 伊豆の海 キラキラ光る この胸のうち』

 連休が明けて学校へは四日ぶりに行った。
 久しぶりの学校は校庭にあるツツジがピンクの花を付けていた。
ツツジの花の可愛らしさに目を奪われた。ユキは通学鞄からノートとペンを取り出し、さらさらと書き留めた。
『咲きそろう 笑い出したる ツツジ花 夏きたるらし わが校庭に』
 ツツジの花に顔を近づけ、誰かの声を聴くように耳に掌を当てる。

 ツツジの花びらが揺れた。
「どうしたの」と、花に語りかける。返事などあるはずもないのに、ユキは「そう、よかったね」とつぶやいていた。
ツツジの花が、話しているような気がしたのだ。
(ユキちゃん、おはよう。また会えたね)と、聞こえ花を咲かせたことを笑うように、ツツジが喜んでいるように見えたのだ。
 ユキの短歌好きは万葉集から始まる。万葉集が愛読書でいつも手元に置いてある。なぜ万葉集に興味があるのかというと、ユキの名前に由来があったのだ。
 ユキが生まれたのは二月だ。まだ若いお父さんは、百人一首にも取り上げられた光孝天皇の詠んだ歌、

「きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつつ」が大好きなので、歌の一節から『雪』をカタカナにしてユキと名付けたのだ。『春を待ち侘びて、はやる気持ちを抑えきれずに春の野に若菜を摘みに行ったけれど、雪が降ってきてしまった』そんな歌の意味だ。お父さんがお母さんに相談したら、
「ユキって素敵な名前ね」母も大喜びで、ユキという名前に賛成したのだった。両親ともユキの誕生を心待ちにしていたことが良く分かる名前なのでとても気に入っているのだ。
 小さいけれど、いっせいに咲くツツジの花が好きだった。
校舎の反対側に見える富士山も心なしか笑っているように穏やかだった。
 校門に近づくと女性の先生が立っていた。まだ大学を出て間もない、若い美佐子先生だ。国語が担当で、ユキのクラスも美佐子先生に国語を教えてもらっている。美佐子先生は大学では古典文学が専門だったらしく、国語の授業の中でも万葉集のことをよく話してくれた。ユキは美佐子先生に憧れの気持ちを抱いていた。
 その日の朝、ユキは自分の机に座っていると、隣のクラスの女の子が教室に入ってきて、ユキの机の前に立った。
「ユキさん、よね?今日の放課後に、お話ししたいことがあるの、どこかで会えますか?」
突然の女の子の到来に驚いて、クラスの男の子がちょっかいを出す。
「陽子ちゃんじゃん、可愛いね、何しに来たの?」
だが声を掛けた男の子には目も合わせない。
男の子も興味がなくなったのか、何処かへ行ってしまった。
「陽子さん?どうかしたの?放課後よければ図書室でなら、いいよ」
「それじゃあ図書室で待ってます」
用件が何だったか分からないし、用件を言うためにまた会おうみたいに言われても困ってしまう。
 またか、とユキは首をうなだれた。ゼン君と仲良くしているのが、やっぱり気に入らないのかもしれない。
 そうだ、ゼン君にも声を掛けて放課後に図書室に来てもらおう。それでまた嫌みを言われてもいつものことだし。
ユキは二時限目の授業が終わった後、男子トイレの前でゼンを待ち伏せて、朝あったことを伝えた。

 放課後、ユキは図書室へ向かった、ゼンは五分くらい遅れて来ることになってる。図書室には陽子が既に来ていて机に座り本を読んでいた。ユキは陽子の向かい側に座り、
「お待たせ、あたしに話でもあるの」と、ゆっくりと話した。
「うん、話っていうか用事っていうか、ちょっとね」
ユキは出来るだけ笑顔を作っていたが、もし『ゼン君と別れて』なんて言われたら、すぐにでもその場を離れる覚悟をしていた。
 陽子が話を切り出す前にゼンが図書室に入ってきた。少し早い気もするのだが。陽子はゼンの姿を見つけると、パッと笑顔になり、手を上げて、「こっちこっち」と小さい声でゼンを手招きした。
たしかゼンも一緒に会おうなんて約束はしていないはずだ。
「ちょっと待っててくれる」と、陽子は言い残し、小走りで嬉しそうに貸し出しカウンターの裏にある図書準備室へ入ってしまった。

 図書室の勉強机にユキとゼンの二人は並んで座り、ユキは人目を気にしながら陽子が戻ってくるのを待った。

 今日は連休明けの初日なので、連休前に本を借りた生徒の返却が多く、貸し出しカウンターの前には数人が並んでいた。ユキと同じ一年生の子もいて、カウンター前の子は、ユキとゼンの方を見ながら、手で口を隠しながらヒソヒソと何かを話している。

「また噂になっちゃうじゃん」
「だったら付き合ってるって言っちゃえばいいじゃん。僕は構わないけどね」
「男と女じゃ受け止め方が違うのね。ずっと嫌な思いをしなきゃならないんだよ、たぶん卒業まで」
 痴話げんかをしていると勘違いしたのか戻って来た陽子が、「仲が良いのね」とクスッと笑った。陽子の後ろには国語教師の美佐子先生の姿も見えた。
 机の所まで来て、椅子に座る前に美佐子が口を開いた。
「鮫島ユキさんと、えっと松平善信君ね、いらっしゃい」
そうやってフルネームで呼ばれると、ユキはともかくゼンは落ち着かなくなる。
「先生、ゼン君って名前がとっても立派なの。だからもっと砕けた感じで呼んであげて」
「分かったわ。ユキちゃんはともかく、ゼン君はあだ名で呼んだ方が良いわね。部活の時はね」
図書室の机に座っている四人は名前の呼び方の話をしただけで、すっかり打ち解けてしまった。
 それから、学校に入ってからの楽しかったことや大変だったことの話で、会話が盛り上がったところで、ユキは陽子と美佐子先生の二人を交互に見て、
「それで、あたしに話があるんでしょ?」と問いかけた。
 陽子は美佐子先生に顔を向け、説明を任せるように頷き、にっこり微笑んだ。
 美佐子は生徒達を見渡し、
「ここじゃ他の生徒の目もあるからこっちへ」と言って、図書準備室に入っていった。

 図書準備室は八畳程の部屋で、中央に六人が座れる大きいテーブルと六脚の椅子と、壁際には文芸部で使うパソコンと、奥にはホワイトボードがある。美佐子はそれを背にするように椅子に腰掛けた
「みんな、座って。ここは早朝と放課後は文芸部の部室になります。それで……」と言って美佐子は残念そうな表情に変わった。

「現状、部員はいません。三年生が卒業しちゃったからね」
 ユキは美佐子先生の話も上の空で聞きながら、部室の隅々まで眺めていた。窓際の本棚の上には、美佐子先生がいつも持ち歩いているハンドバッグが、ぽつんと置いてある。ユキは少し落ち着かない気持ちで、ゼンに言った。
「ゼン君、あたし達も文芸部に入れてもらおうよ、あたし文章書くの好きだし」
「俺にも入部しろってことか?」
「だって窓際にある先生のバッグを見たら断れないじゃない」
ゼンは「何のこと」と思ったけど、窓際のバッグを見て、「本当だ」と、頷いた。二人の不思議な話に美佐子の表情は強ばった。
 窓際に置かれたバッグには寄りかかる壁もなく、なんとなく独りぼっち。ユキにはそんな風に見えたのだ。

 三年生の卒業とともに文芸部には一人の部員もいなくなってしまって美佐子先生は困惑していたのだ。(これからどうしよう)
美佐子先生のそんな気持ちが、全て理解できたのである。そして美佐子が口を開いたところで全てが繋がり、二人が文芸部に入ることが自然な流れだと感じたのだった。
「なに言ってんの、私まだ何にも言ってないじゃない」
 ユキは慌てた。自分が持っている誰よりも強い感受性と、人の心の中を覗いてしまう癖が、人に知られてしまっては大変だ。
「これ、言っちゃダメなことだった」と、とっさに言葉に出してしまった。
(言っちゃダメなことも)『人に言ってはダメだった』言葉にした瞬間に『特別なこと』だと知られてしまうから。
「大丈夫だよ、美佐子先生もボク達と似てる感じがするから」
ゼンが言葉をつなぐ。

「さっき美佐子先生の横顔を見たときに、そう感じたんだ」

「あんた達、なに言ってるのか分からないでしょ!」

美佐子は二人の会話に口を挟んだが、心の中ではようやくこのときが来たと言葉には出来ない喜びを感じていた。
 陽子は話に遅れまいと、意を決して陽子は口を開いた。
「さっきさ、図書室で話していたときすごく楽しかった。小学校の頃からずっと学校がつまらなかったけど、今は違うよ。ユキちゃんって私の話の先回りしてくれて、私の言葉を待ってくれたって言うか、そんな感じ」
 会話はなんの脈略も無く進んだが、次第に会話の輪郭がハッキリしてきたように、みんなが感じていた。
陽子の言葉は難解だったが、他の三人には理解できた。
 美佐子は陽子の言葉を受けて話を続けた。
「今日みんなをここに呼んだのは文芸部に入ってもらうためなんだけど、それだけじゃないんだ」
美佐子は顔は緊張で笑顔が消えていた。
「ここにいるみんなだから言うけど、私たちって他の人と違うって気づいてた?」そこまで話して、すでに夕方になり部員たちが電車で通学していることを思い出した美佐子は、
「それじゃあ今日はここまでにしようか」と話を途中で切り上げた。
 明日からでもいいから文芸部員として活動するように。それぞれが得意なことをやってみましょう、とのことだった。
 席を立ち、みんなが何となく名残惜しそうな感じがしていた。美佐子先生の話の続きをもっと聞かせてと思ったが、
『なんだか先生も考える時間が欲しいんだな』とユキは理解した。
 美佐子は先に部室を出て、仕事に戻っていった。

 ユキは頬を紅潮させながら、
「ゼン君、あたし……」と、この高揚感は言葉にできなかったけれど、ゼンも陽子も、きっと同じ気持ちだった。
ユキは「文芸部に揃ったね三人、先生も入れて四人だね」
なんだか目の前がパッと開けた気分だ。文芸部に四人が揃うことが昔から決まっていたことのようにも感じた。
「あたしは短歌を詠んだりするけど、陽子ちゃんはなにか書くの?」
「あたしはエッセイを書くよ。もう一杯書いたのがあるから、見せてあげるね」
「じゃあゼン君はやっぱりあれでしょ、お笑い系のやつ」
「他にも書けるよ。シナリオとかも、いま勉強中なんだ」

三人の距離が一気に近くなった。

『神の手に 包まれており わたしたち 赤い糸より かたく繋がる』
 学校からの帰り道、三人は駅に向かう途中にある小さな屋台のタコ焼き屋に寄り道をした。
「それにしても陽子ちゃんと話をするの楽しいわ」
「あたしも一緒よ、今までこんなにいっぱい話すこともなかったし」
二人の会話を聞いてゼンも会話に加わった。手に持った竹串でタコ焼きを突き刺し口に運びながら、
「それは、先生も同じ事を言ってたような気がしたよ」
そう言ってからゼンは、もしかしたらそんなこと言ってなかったかもしれないと気がついて、
「言ってなかったかな。でも、言いたかったのは間違いないよ」
「それってどういうこと、先生が心の中で思ってたってこと?」
陽子は不思議な気持ちでゼンの次の言葉を待った。
「うん、絶対そうだよ」
「あたしもそう思うよ」
ユキはなぜそう思ったのかをうまく説明ができないけれど、そう思ったからそうなんだ。と、いう自信だけはあった。
『先生が 驚くほどに 三人が ここに集うは 奇跡の奇跡』
 気がついたら夕方の五時を過ぎていた。

 駅に向かいユキとゼンは下り線のホームへ向かう。三島駅から数駅離れた、吉原駅まで帰るのだ。上りの電車に乗る陽子は、
(また会いたいね)って顔してたけど、(明日また会うじゃない)とユキは心の中で返事をしたのだった。
 電車に乗ると車両は空いていたが、ユキとゼンは隣りに座った。肩が触れあっている。すぐに眠気が襲ってきた。ユキはゼンの肩に頭を乗せるようにして居眠りをする。周りには同じ学校の生徒は乗っていなかったから、誰かに何か言われることもないだろう。二人は付き合っているわけではないが、二人でいるときの居心地の良さはユキだけではなくゼンも同じように思っている。明日から放課後は文芸部に通うことになる。美佐子先生は毎日来るのかな、と考えていたら、吉原駅に到着していた。ゼン君に膝を叩かれ目が覚めた。二人は改札を出て右と左に別れて歩き出した。

 翌日、教室の席に座り美佐子先生が暮らすに入ってくるのを待っていた。一時限目の国語の授業は美佐子先生の受け持ちだ。
「美佐子先生、来るのかな?」
「来るに決まってるだろ普通に授業だし」ゼンの素っ気ない返事に
「もう全然分かってない、ワクワクする気持ちってあるでしょ。男の子って本当にダメね。分かっててもわざと聞くものなのよ女の子って」ユキは不満げに言った。
 美佐子先生は時間通りにクラスに入って来た。ユキは嬉しくてニヤニヤが止まらない。
 そしていつもと変わらない授業が終わり、美佐子が教室を出ようとしたとき、ユキは慌てて駆け寄り、
「先生、今日から部活に行くからね、ゼン君も一緒だから」
美佐子は嬉しそうに
「そう、待ってるわ。私は職員室に用事があるから少し遅れそうよ」

ユキは楽しくて仕方がないといった顔で自分の席まで戻ってくる。それを見ていたクラスメートの女子達は
「ユキちゃんってあんな風に笑顔になることもあるんだね」とひそひそと話していた。
 ユキは今まで書き留めてきた短歌の数々を美佐子先生に見せたくて、数冊の短歌ノートを持って来ていた。短歌の他に、詠んだときに感じた気持ちなども書いてあるので、誰にも見せたことがない。休憩時間にはゼンにも、書きためたノートがあるのか聞いた。
「ねえゼン君も今までに書いたお笑いネタノートとか持って来たの?」昨日先生が、そういうのがあったら持って来て見せてちょうだいって言ってたのだ。
「べつに持って来てないよ」
「なんでよ」ユキは不満そうな顔で言った。
「お笑いネタってのは書いたときに面白いんだ、書き終わった瞬間に、どこにでもある、ありふれたお話になってしまうものなんだ」
ゼンはお笑いというものは鮮度が大切だとユキに話したけどユキには通じていないようだった。
「でも短歌なんて千年も前の作品だって今も読まれてるじゃん」
「そこが違うところだな、お笑いは時代と共に変化するものだ!」
(女の子にはお笑いのことは分からないだろうな)と、ゼンの頭の中が透けて見えた。ゼンは何か言いたそうだったけど、ユキはゼンの話が終わる前にトイレへ向かった。そこで陽子と顔を合わせた。
陽子もまた、「あたしエッセイとか一杯持って来たよ、ユキちゃんにも読んで貰おうかな」
「え、本当?嬉しい、じゃあ放課後ね」
ユキは陽子に目で合図してそれぞれの教室に戻っていった。  放課後のホームルーム終了のチャイムももどかしくユキは教室を飛び出し、文芸部の部室へ小走りで向かった。


投稿者 r65life

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