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この掌編小説はフィクションです。


 昭和の一時期、伊東市の伊豆高原は別荘地として栄えていた。
伊東駅周辺の温泉場も、テレビでは毎日のように有名ホテルのコマーシャルが流れていた。
今でも「伊東へ行くなら〇〇〇」と歌えるほどだ。
バブルの頃から伊東市を訪れる観光客の人数は右肩下がりで減っていったが、それを止めることは誰にもできなかった。
それでも、伊東市には観光地と別荘地の復興を目指して、新たに挑戦しようとする若い夫婦がいた。

 鮫島孝史は高校卒業後、東京の一流ホテルでパティシエとして働き、洋菓子作りにおいては一流の腕を持っていた。孝史が東京で働いていたとき、スイーツ好きの早苗と知り合い結婚。パテシエを目指している孝史は休日にカフェ巡りをしていた。孝史と早苗は、二週続けて別のカフェで出会ったのが馴れそめだ。

 そして子どもができたことをきっかけに、伊東市の伊豆高原でペンションを営む両親の元へ帰ってきたのだ。

 孝史の悩みは、観光地である伊東市が寂れてしまったことである。
地域のペンション仲間も世界的に流行った感染症のせいで、ペンションの運営が上手くいかず閉業するところが多かった。実家のペンションもいつまで続けていけるかが危ぶまれていた。

孝史には夢があった。洋菓子を通じて伊東市の観光を盛り上げること。そして伊東市を代表するスイーツを開発することだった。
伊豆高原には「桜並木通り」という通りがあり、伊豆高原駅から山焼きで有名な大室山へ続いている観光道路がある。桜の頃にはこの通りを訪れる観光客も増えるのだが、それでも昔の繁栄からみると物足りない感がある。観光客の誘致には根気強く取り組まなくてはならないのだ。

 実家のペンションに帰ってきて孝史と早苗は口喧嘩をすることが増えた。
実家のペンションが閉業したら、自分たちが実家に戻って来た意味が無くなってしまう。
孝史はこの地に自分のお店を出したいと思っているが、伊東市のこの状況では今は様子見なのかと思っている。いつになったら自分の店舗を持つことができるのか、と思ったら焦りの気持ちが強くなってきた。
その日も孝史と早苗の間には険悪な空気が流れていた。
「今の時期、伊豆高原に洋菓子店なんて流行るわけがないだろ。」
「でも、あなたのパティシエとしての腕は一流でしょ。」
「そうは言っても、こんな田舎で誰が洋菓子なんて買うんだよ。」
「違うんだってば、洋菓子店じゃなくても、なんでもいいからお店を出して欲しいの。子どもたちの為に。」

二人の会話はいつまで経っても結論はでなかった、早苗は夫の孝史に、この地に洋菓子の店を出せないかと自分の希望を伝えていた。一方的ではあったけど、孝史も同じ気持ちでいると信じていた。
 早苗は孝史のお菓子作りに対する思いに寄り添い、夫婦の未来を夢見ていた。

「あたしたち、これからここに住むんだから、子どもたちもここで育つの」夫婦には二人の男の子がいる。早苗は自然の豊かなこの地で子育てを望んでいた。「こんな田舎だけど、子どもの為にはいい環境でしょ」
伊東市は田舎ではあるが、欲しい物はなんでも揃う。ただし、本当に欲しい物は、なにも売っていない微妙な立ち位置の街だ。書店はあるが小さく、読書好きな早苗は不満で、沼津まで本を買いに行くこともある。通販じゃダメで、本好きの衝動買いの欲求が満たされないのだ。
それでも、沼津や小田原にも近く、本気で服や家具を買い物するなら伊東市内は素通りである。

 伊豆高原はバブル全盛のころは別荘ブームだった。カフェや小さい食堂はたくさんあるが、当時の流行だったのか別荘風のカフェは普通の民家のような作りで、店の前に看板が出ていても入りづらいのだ。それに最近では開店しているのか閉まっているのか外から見ても分からない感じだった。これではお客様の来店など望めない。この辺りに店を開いた人たちのセンスの無さが悔やまれる。

 伊東駅周辺の温泉街と、伊豆高原駅周辺の観光地は別々に栄えてきた。
伊豆高原駅を大室山に登る坂道を上ると桜並木通りがある。この辺りは別荘ブームのころは華やかな町並みだったのに違いない。
別荘の客を見込んでカフェや飲食店があったのだろうが、今では閉店した店も多く、開店休業の店の入り口が荒れ放題になっている。

そこで、若い夫婦が目をつけたのがこの通りだった。
閉店した店が並ぶ桜並木通りに店を出し、お客が来るのかと思うが、現実は、この通りに、いつも営業している常設の店が地元の人にも望まれていることがわかった。
「OPEN」と告げる看板を立てるだけで、前を通る車がお店の中を覗いていくのだ。

夫婦は最初、「洋菓子店」を開こうとしていたが、こういった店では基本的にお持ち帰りが主流となっている。
いつもお店が繁盛しているように見せるために、店内や店外で飲食をさせるためにどうすればいいか考えたのだ。店内にお客様がいることを見せることが誘客の方法だと気づいた。夫婦は話し合い「お洒落な高原スイーツ洋菓子店」から「お持ち帰りのできないジェラート店」に戦略を変更したのだ。

 若い夫婦のお店は三月にオープンしたばかりだ。名前は「ジェラート工房マニス」マニスとは語感がいいのと、マレー語で「甘い」という意味なのでこの名前に決めた。この辺りの桜は、四月に入ってから咲く。オープン需要でしっかり稼ぎ、五月の連休や初夏の暑さ、梅雨明け後の夏休み需要を乗り越えてほしい。このジェラート店の成功が伊東市の観光復興に貢献することを期待している。
 この若い夫婦は、いつか伊東市といえば「ジェラートの街」と呼ばれることが夢なのだ。

投稿者 r65life

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