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休憩時間に陽子と約束したこと、待ち遠しくて、こうして一緒に文学の話をすることがとても嬉しかった。
二人は鞄から宝物でも出すように、今まで書きためておいた短歌ノートとエッセイノートを取り出した。
「これ読んでもいいけれど先に美佐子先生に読んでもらうね、時間がかかりそうだし」と、言って七冊の短歌ノートを机の上に置いた。
『びっしりと 詰まった思い出 短歌ノート 人にはみせず 君にも見せず』
「あたしのエッセイも先生に読んでもらう。もし下手くそなエッセイだって言われたら見せない」
「え、ずる~~~い」
二人は笑い出し、
「ウソウソ、見せてあげるから」
「あたしの短歌ノートって、今までに誰にも見せたことないの。というか見せても読んでくれないし」と、短歌を趣味にしていることがこんなに苦しいことかとユキは思うのだった。
一生懸命に書いても同年代の子は興味が無く、古くさい言い回しがあっただけで『頭痛い』って言われるのだ。
陽子も自分の書いたエッセイを友達に見せていたけど、
「陽子ちゃんって、凄いけど変わってるね」って言われるのだった。なんか褒められているようで馬鹿にされてるみたいで悲しかった。
ゼンが遅れて部室に入ってきた。
自然にユキの隣に座り、ユキの前に置かれている短歌ノートに目が留まった。
「これがユキちゃんの短歌ノートなの?、読んでいいの?」
「だめ、先生に読んでもらってから。それで先生が下手くそな短歌だって言ったら見せてやんない」ユキと陽子は顔を合わせ、大笑いするのだった。
一時間ほど遅れて美佐子先生が部室に入ってきた。
「よかった、みんな来てくれたんだ」
「ボクは、文芸部員って呼ばれるだけで偉くなったように感じるね」
「ゼン君、君のお陰でユキちゃんも陽子ちゃんも安心して入部してくれたし」
「安心してってどういうことですか」
美佐子はゼンの疑問には応えず、
「はい!」と間をつないでから部員達に大事な話があると言って話し出した。
文芸部の部室は午後の日が差している。美佐子のお気に入りの音楽がかかっている。楽曲はモーツァルトのディベルティメント(喜遊曲)で、自由で軽快な雰囲気の曲だ。この曲が流れていると、会話の途中で話が途切れても自然と音楽に耳が持っていかれ穏やかな気持ちになれるのだ。
美佐子は冒頭、自分の生い立ちを話し始めた。
「先ず自己紹介ね。私はね子供の頃からいつも一人だったの。親が仕事人間で、学校から帰っても家に誰もいなかったの」
寂しげな表情で語るけれど、他の部員はもどかしい気持ちになった。
たぶんみんなも同じだから。
「それで私は毎日、本を読んでいるでしょ。そうすると本を書いた作家さんの心の中まで見えてくるようになったの」
本の中に深く入り込んでしまうと、普通なら主人公になりきるものだが、物語の奥にいる作家の心に関心が向いていくのだった。
「小学校の音楽の授業で習う歌で『赤とんぼ』って歌があるでしょ」本の話から突然音楽の話になってしまったが、部員たちは口を挟まずに話を聞き続けた。ユキも他の子も背筋を伸ばし先生の打ち明け話を聞き逃すまいと耳を傾けていた。話の続きを促すように、部員達の真剣な眼差しと、穏やかな表情はそのままだった。
「赤とんぼの歌詞って、子供の頃の思い出が元になっているでしょ。だけど最後の『止まっているよ竿の先』ってところ……」美佐子は少し涙ぐんでいた。
「そこは思い出ではなく、思い出している今のことね」
美佐子は初めて赤とんぼを聴いたときのことを思い出しているのだった。童謡『赤とんぼ』の作詞者は三木露風だ。あるとき自分の家なのか、どこで見たのか分からないが、たまたま見かけた竿の先に止まっている赤とんぼを見て、自分の過去や家族のことを思い出し歌を作ったと取れる。作詞家が竿の先に止まった赤とんぼを見た時の感情が美佐子に降り注ぐように押し寄せてきた。そして言葉にならない感情に捉えられた。彼の一生はどのようなものかは知らない。けれど、悲しい感情と懐かしさと、家族を思う気持ちが一気に押し寄せたのだ。
「これってどういうことか分かる?」と、美佐子はみんなに聞いた。そして答えも待たずに話を続けた。文章には言霊がある。中学になって、文学を理解すると共に言霊というものを知った。小学生の時に聞いた『赤とんぼ』の感動は、歌に作詞家の魂が宿っていることを確信させた。言霊の真実を知るために、高校生になっても本を読みあさったり、大学生になってからは長期の休みを利用して、有名な文豪の生まれ故郷や、生活が営まれていた都会のアパートなどにも通ったのである。
美佐子は自分のことを優秀とは思っているわけではない。だが、自分のような考えをする人はには出会わなかった。ギフテッドと呼ぶのであれば、そうかもしれない。ギフテッドとは、主に知能指数が高いことでしか定義されていないが、他の尺度で考えることも自由である。
「あなた達はギフテッドかも知れないわね。数学が優秀なだけじゃなくて、例えば文学的に優れているギフテッドがいてもおかしくないでしょ」ここまで一気に話をする。
ギフテッドとは神様から特別な才能をもらった人のことだ。知能指数に紐付けられて語られることが多いが、定義は確立していない。
「文学的ギフテッドとは、人の気持ちが分かる人のことだと思うの。そういう意味ではあなた達は、まさにそうだわ」
沈黙が拡がる。みんなが頭の中で租借しながら考えているのだ。
「自分から『私はギフテッド』だって言う人ってバカっぽいでしょ」と反論されることが怖くて、今こうして同じ部室にいる生徒たちを見ていると、自分と同じ経験をしてきたんだと思った。美佐子から見ても、他の子たちにはない能力を持っていると感じていた。
一通り話したいことを話すと美佐子は、ふっとため息をついた。自分の考えていた自分自身のことを話すのは勇気のいることなのだ。他のところで、「自分はギフテッドだ」などと他の人に言ったら馬鹿にされるだけである。だけど、それを黙って聞いてくれるこの子たちが、とても優秀で頼もしいと美佐子は感じたのだ。
美佐子はユキの方を向いて小さい声で呟いた。
「ユキちゃんのことも色々知りたいわ。話したくないことは話さなくてもいいの、でも言いたいことがあれば、私も他の子も、ちゃんと最後まで聞くわよ。ね?」と、言ってゼンと陽子の顔を見た。
ユキはいつになく緊張の面持ちでしばらく無言だった。とても長い時間に感じられたが、時間の経過はユキの戸惑いの大きさだった。
ユキは話し始めたが、声は今にも泣き出しそうに震えていた。
「学校にいるときは、家にいる時と全く違う自分がいたの」
悲しみを堪えるというよりも、やっと心の内を、人に話せることが嬉しくもあった。だが、気恥ずかしさと、自分の悩みなんてどうでもいいことだ、とも思っていたのだ。
「あたしってどうして友達が出来ないのかなぁ」
(そんなことないよ、あたしが友達じゃん)
(友達なんか居なくても平気じゃん、俺もそうだし)
陽子とゼンの心の声が聞こえた。
(文芸部で頑張ろうね)と、
嘘のない言葉の美佐子は心から優しかった。
「たぶんユキちゃんは頭がよすぎて他の子が話についてこられないんだよ」そう言いながら実は自分も同じ経験をしていると教えてくれた。美佐子先生の話を聞いていると、自分だけと思っていたが他の子も同じような経験をしていて、それぞれの子が、「これって私だけのこと」って思っているらしかった。それに気付いたことはこれから生きていく上で、とても心が救われたと感じた。
連休中にペンションを訪れたときに、伯母さんにも言われた、
「あいつらバカだから」という言葉も同じ意味に違いなかった。自分が他の人よりずっと先を歩いているのに、置いてきぼりにされているような感覚だったが、でもここに居る人はみんなユキと同じ事で悩んでいたのだ。
ユキの話は短かった。でも、ゼンも陽子も
「もう話さなくてもいいよ」と思っていた。それは二人とも同じことを感じた経験があるからだ。
みんなに話を聞いてもらって、頭の中のモヤモヤが晴れて、心が軽くなったような気がする。友達と話が通じないのも、今なら理由が分かる気がする。ユキの話はゼンも陽子も黙って聞いていた。美佐子だけは、うっすらと目に涙をためながら、こう言った。
「ユキちゃん、大丈夫だよ。私くらい悩めば、いろんなことがパァっと晴れるように、いつか分かるようになるから。ね!」
あともう少しの我慢だから、と美佐子先生は言いたげだった。
ユキのような悩みは、頭のいい子にはよく起こるものだと、美佐子は自身の経験から分かっていた。
「よかったわ、苦しかったと思うけれど、気持ちを拗らせる前にユキちゃんに出会えて」
先生の言葉の真意と優しさがゼンや陽子にも伝わり、
「ユキちゃんもよかったじゃん」と、ゼンは先生に礼を言った。
「今度は私の話も先生に聞いてもらおうかしら」
「いいわよ陽子ちゃん、なんでも受け止めるから」文芸部の初日でこれだけお互いを分かり合えたら、これからの活動はきっと楽しいものになる。そう思うとユキは嬉しかった。

文芸部の部室には夕方の日が差している。五月にもなれば、日差しの強さは夏を予感させる。直射日光の強さは真夏を上回るほどだ。外はまだ明るく気持ちの良い午後だ。
陽子はユキのように深刻な顔をせずに話すことができた。
「小さい頃は、お母さんが本をたくさん買ってくれたんです」
陽子の実家は学校のある三島のとなり駅の函南にあり、地元では有名な企業を経営していて、わりと裕福だったので、欲しい本はいつでも買ってもらえる環境にあった。母親が読書については熱心で世界文学全集のような豪華本をセットで本棚を飾っていた。
「本は好きで、今まで何冊読んだか分からない。でも今は読書よりも、何かを書いている方が楽しいかな」
陽子の文章を書く才能は、読書量の多さにあったのだ。そして決められた文字数の文章を書くことに長けていている。
「原稿用紙二枚なら一気に書けちゃう」
陽子の執筆したエッセイは、その文章力が利益になる。各方面から重宝がられていて、きっちりとした文字数に仕上げる陽子はすでに、ウェブライターとして活躍しているのである。主に高校生活についてとか、若い人向けの雑誌などに、文章を提供しているのだ。
「陽子ちゃんって凄いよね、けっこう文章で稼いでるでしょ?」
美佐子の問いかけには
「そんなことないです。だってお金を振り込まれても確認しないし」
副業ブームでライターを目指して文章を書いても、一円にもならないって、愚痴ばかりを聞くなかで、陽子の能力は特質している。
「それで、今はどんなことを書いているの?」
「特にないんだけど、クライアントから学校について書いてとか、旅行へ行きたい場所を書いてとか頼まれたら書くけど」もはやプロのエッセイストの風格である。
「陽子ちゃんはとにかく今の仕事を頑張ってね」
次は自分の番だとゼンは身構えた。自分は特にこれといった話がないのだけれど、何をどう話そうか迷っている。それを察したのかユキが助け船を出した。ユキはゼンの能力を自分が一番よく知っていると自負しているのだ。
「ゼン君は凄いんだよ、未来が見えるっていつも言ってる」
「え、嘘!……嘘でしょ!」驚いて言葉を遮ったようになったが、
「聞かせて!ちゃんと話を聞くわ」もっと話を聞かせてと美佐子はユキとゼンの二人の顔を交互に見た。いつも美佐子は、
「人の話はちゃんと最後まで聞くものよ」と、話しているのだから
「嘘でしょ」で終わらせたら、いつもの話が嘘になってしまう。
「でも数秒先のことが分かる程度なんです。未来と言えないことはないけど、それほど役に立たない能力ですね」と恥ずかしそうな顔をしている。
「そんなことないよ、それはね現実に起こることを数秒前に分かるってことは、そこに至るまでにものすごい量の情報を頭の中で処理しているってことよね」美佐子の話は難しくてユキには理解できなかったけれど、ゼンは「先生、よく分かりますね」と理解してくれる先生のことを感嘆していた。こんなに理解してくれる人は初めて出会った。そう思ったらゼンは文芸部には“すごい人”が集まったんだと改めて驚かされた。
ユキも陽子は口をそろえて言った。
「ゼン君、ずる~~~い。だって宝くじとか当てちゃうんでしょ、カジノへ行ったら負け知らずじゃん」と二人にからかわれたけど、
「いやぁ、ちょっと違うんです。未来といってもルーレットの白が出るか黒が出るかなんて分からないんだ。説明できないや」と、言いつつ
「たとえば交差点に車が止まっているでしょ。一番前の車が直進して、二番目の車が左折して三番目は直進するみたいなことは分かることが多いよ」
「それってどうしてなの」だんだん面白くなってきたと言わんばかりにユキが聞いた。
「運転手の気持ちがハンドルから伝わって車全体からオーラみたいなのが出てくるからなんだ」
「それじゃやっぱり、未来を予測するのは、人間が関わっていることに限ってなのね」
美佐子も話に乗ってきたのか、楽しそうにゼンの顔を見つめている。
美佐子はゼンの凄さを認めながら、その凄さがどこから出てきているのかは、まだ掴みかねていた。ただ、ゼンの優れているのは、人としての包容力かも知れない。さっき美佐子が応えなかった
『ゼン君、君のお陰でユキちゃんも陽子ちゃんも安心して入部してくれたし』の理由は、ゼンの包容力の凄さにあるのだろう。
初日の活動はお互いのことを話し合い終了した。
みんなは、まだ話したりないこともあったけれど、これから毎日部活で会えるから、「話の続きはまたいつかね」って感じで下校した。
『三人と プラス一人の 先生と 過去の自分は 今日を知ってた』
この歌は、今日の日の楽しい気持ちを、過去の自分はすでに知っていて、この日が来るのをずっと待ち続けていたのだ。そんな気持ちを短歌に詠んだのだ。
『神の手に 包まれており わたしたち 赤い糸より 堅く繋がる』
私たちはこれからどのような高校生活を築いていくのか楽しみというか、なにか途轍もないことを成し遂げるような気がしている。

