ジプシーの親子

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美しい日本の言葉をテーマにして短い文章を書いてみました。
実は以前にもアップしたことがありますが、推敲を重ね
読みやすくなっていると思います。


ジプシーの親子


  薄汚れたビルの間に何も敷かずそのまま座り、父と母と男の子の家族が激しく口論していた。
 父親はビルの壁に寄りかかり、タバコをふかしている。
 母親は髪の毛を掻きむしり、うんざりした顔で父親に罵声を浴びせた。

「あなたね、そんなことしてるからお金がもらえないのよ。もっとしっかりとやりなさい」
 妻は激しく夫を罵った。二人の間でぼんやりと眠たそうにしている子どもは、
 小さいながらも生意気に帽子を被り、火のついていない煙草を加えていた。
 それもそのはず、まだ10歳を少し過ぎたほんの子どもなのだ。

 子どもなのに背広と、背中でクロスしたベルトのついたズボンを履いているのには理由があった。

 この家族は二週間に一度、街から街へ旅をする芸人一家なのだ。
 街の真ん中に市が立ち、広場には多くの人で賑わっていた。

 広場の中央には噴水があり、その脇に陣取って軽業を見せていたが、
 子どもがとんぼ返りをして、父が受け止めながら後ろに倒れる芝居が上手くいかず、
 本当に後ろに倒れてしまい、父は腰を強く打ってしまった。

 父の失敗により、その後の段取りが全てダメになってしまったのだ。

「あなたがちゃんとしないから、いい恥をかいたじゃない。
 あたしだって、笑いを取ろうとしてあなたの尻を蹴ったけど、本気で痛がって、
 まるであたしが一人で悪者になっちゃったじゃない」

「ごめんってさっきから言ってるじゃないか、許してくれよ」
 父はそう言いながら痛む腰をさすっている。

「父ちゃんも母ちゃんもやめろよ」
 ボクが大きくなって重かったんだよ。この前だって父ちゃん言ってたじゃないか、
 この芝居ができるのはあと少しだなって。

 母は息子に目をやり、
「この子ったら、いつの間にか一人前のことを言うようになっちまった。
 お前が小さくて可愛かったから、客が銭をはずんでくれたじゃないか」

 息子が二人を庇うように両手を広げ、肩に手を回して掴んだ。
「もう芸人をやめよう、ボクも働くよ。父ちゃんは昔みたいに床屋でもやればさあ、
 母ちゃんは昔は歌をうたってたんだろ?ダンスだって見事なもんさ、
 父ちゃんが惚れたのも無理はないさ。あの頃みたいに笑って暮らそうよ」

 街一番の大きな教会の鐘が鳴る。
「そろそろ帰ろう」と声が聞こえたようだ。
 誰も何も言わないのに三人は顔を見合わせ、帰って行く。
 ビルの間に佇み、だんだんと身体が薄く透き通り、見えなくなった。
 一瞬で賑やかだった街も寂れてしまった、最初から何も無かったかのように。

 人々は穴の開いている服など着ていないのだけれど・・・・・・。
悲しさと貧しさの記憶が残るこの街は、日が暮れたら歩く人もいない。
 時代に取り残されたように。
 街の通りにはクルマが通り過ぎるだけで、誰も気にとめない街。
初老の男性は見たまぼろしに、ほんの一瞬だけ胸が締め付けられたが、
やがて静かにその場を離れた。


 こういう物語を書くときは、なぜかヨーロッパの小さな街に
ジプシーの親子が登場する場面が頭に浮かんでくる。
 ジプシーの芸人は幸せなのか、わからない。
 いつも怒ってばかりいるお母さんだけど、踊り子だった若い頃のお母さんを思い出し、
 お父さんはそれだけで幸せだったのかなって思う。
挿絵的な画像はChatGPTで作成しましたが、
思いがけず愁いを含んだ素晴らしいイラストに仕上がりました。

 

 読んでくれてありがとう!

投稿者 r65life

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