英語教育移住ブームへの違和感
――「英語+何ができるのか」という問い
近年、子どもを海外に移住させ、英語教育を受けさせる「教育移住」がブームになっている。
その中でも、マレーシアは費用面・治安・生活のしやすさから人気が高い国だ。
私はマレーシアに5年間住んだ経験がある。
だからこそ、現地を知らないまま語られる「英語教育移住」のイメージに、どうしても違和感を覚えてしまう。
マレーシアは「英語が武器になる環境」か?
確かにマレーシアでは英語は通じる。
インターナショナルスクールも多く、英語に触れる機会は日本より圧倒的に多い。
しかし現実はこうだ。
マレーシアの英語は、多くの場合
「第二言語としての英語」 であり、
思考を深く鍛えるための英語 ではない。
日常生活ではマレー語、中国語、英語が混在し、
「通じればOK」の英語で生活が完結してしまう。
結果として身につくのは、
困らない英語、ではあっても
武器になる英語ではない。
不登校や挫折からの留学には賛成
一方で、日本でいじめや不登校を経験し、
環境を変えるためにマレーシアへ留学する子どもたちがいる。
これについては、私は賛成の立場だ。
それは「英語教育」ではなく、
人生の再起動 だからだ。
自己肯定感を取り戻すこと、
息ができる場所に身を置くこと。
それ自体に大きな意味がある。
問題は、目的がそこではない場合だ。
親が見落としがちな「英語+何?」
将来を考えて、
「英語ができれば有利になる」
そう思う親の気持ちは、よく分かる。
しかし、ここに決定的に抜け落ちている問いがある。
英語+何ができるのか?
今の社会では、英語ができること自体は
もはや特別なスキルではない。
グローバル企業や外資系企業では、
英語は「できて当たり前」の前提条件だ。
そこで必ず問われるのは、
「英語以外に、あなたは何ができますか?」
という一点である。
「+α」はどの言語で学ぶべきか
ここで、もう一つ重要な視点がある。
もし「英語+α」を身につけたいのなら、
その α(専門性・思考力・技術) は
日本語で学んだ方が、圧倒的に深く身につく。
母語である日本語だからこそ、
- 抽象的に考えられる
- 論理を組み立てられる
- 感情やニュアンスを理解できる
英語が中途半端な環境で、
さらに別の分野を学ぼうとしても、
どちらも浅くなってしまう危険がある。
学びの順番を間違えてはいけない
理想的なのは、こういう順番だと思う。
- 日本語で思考力や専門性を徹底的に鍛える
- 「何者か」になる軸をつくる
- 英語をツールとして身につける
- 必要に応じて海外に出る
この順番を逆にすると、
「英語は話せるけれど、何も語れない人」になりかねない。
おわりに
教育移住そのものを否定したいわけではない。
ただ、「英語さえできれば」という幻想のまま
大切な学びの時間を使ってしまうことに、強い疑問を感じている。
もう一度問い直したい。
英語+何?
この問いを持たずに海外に出ることは、
地図を持たずに航海に出るようなものではないだろうか。
マレーシアへの移住を夢見ている人には申し訳ありません。
日本人だからと、優遇されることは今のマレーシアにはありません。
むしろ日本人はお金を持っていないと思われています。
日本人と友達になりたいと思っている人はたくさんいますが、理由は周りに自慢したいからです。言葉の出来ない日本人は直ぐに飽きられます。
マレーシアが住みやすいと思えるのは、語学が堪能なこと。それとこれは誤解があるのですが、社交的でない人の方が海外生活に向いています。
私などは全く社交的では無いのですが、一人でいることが苦にならない。休日も一人でパソコンを持ち歩いてカフェで仕事をしている振りをするのが大好きでした。移住する前に観光で訪れて「一人での街歩き」が楽しめるか試してみたら良いかと思います。
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