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伊東駅に到着した。ユキが先導してオレンジビーチに向かった。陽子が「え、近いんだね、すぐそこが海なの?じゃあちょっと飲み物を買っていこうよ」と駅ビルに引き返してコンビニで冷えた水やジュースを買った。「それくらい買えば大丈夫だよ、確か伯父さんがいつもの海の家を予約してくれてるはずだから」
ゼンは小学生低学年の頃に家族ぐるみでユキの家族と伊東に来たことがある。伯父さんのペンションに泊まったことがあるのだ。オレンジビーチに来るのもそのとき以来だ。
ユキを先頭に、一行はビーチの中央付近にある伯父さんお勧めの海の家に入っていった。
「ユキちゃんいいの?全部無料っておかしくない?あとで請求されたら嫌だなぁ」陽子が心配そうにしていたが、後で伯父さんがお金を払うに決まっているのだ。
海の家の名前は『椰子の実カフェ』むかしは海岸線の道路脇にある魚屋の屋号が、そのまま海の家の名前になっていたけど、若者がネットで調べやすいように、現在の名称に変えたそうだ。
海の家へのチェックインを済ませて早速着替えて海へ向かう。みどりは大はしゃぎで、ピンクの縁取りがある紺色のスクール水着風なのを着ていた。陽子は初めてのビキニを着ていた。オレンジ色を基調に花柄がお洒落で砂浜にいる男の子の目を引きつけていた。
ユキの水着は黄色で柄などはないワンピース水着で、派手な色ながら落ち着いた雰囲気がある。
ユキはみどりの手を取り海へと走って行く。
陽子はゼンの様子を気にしながら、海に入るのをためらっていた。今日は気合いを入れてお化粧をしてきたようだ。海水浴に行くのに化粧をするのもどうかと思うけれど、ゼンのことが気になってしょうがないのだ。
海は沖までキラキラと輝いていた。秋とはいえ、それは暦の上だけ。熱風は砂浜に閉じ込められたままだ。
陽子は相変わらず波打ち際で脚を濡らすだけだったが、ゼンが後ろからそっと近づき、陽子の身体を抱き上げた。お姫様だっこのまま海へ入っていく。
「キャー」と声を上げて陽子は
「やーめーてー」と叫ぶが、顔はまんざらでもない感じだ。ゼンは陽子を抱きかかえたまま海に入っていく。膝を超え腰の深さを超えてもまだ沖へと向かっていく。その時には陽子も悲鳴は上げずにゼンの幼稚な行為を楽むように笑いながら首に腕を回していた。
「冷たいよぉ」陽子の身体は全身が海水に浸かる所まで来ていた。そのときゼンは凸凹した底の砂に脚を取られたのか、後ろへと倒れ込んだ。
「あっぶねぇ」ゼンは倒れる身体を立て直そうと脚をばたばたさせたが、足の着く深さではあるが後ろへ倒れ込んでしまった。海に投げ出された陽子は『ゴボゴボ』と耳元に自分のはき出す息が大きな泡となって音を立てている。両手を拡げ海面を叩くように必死に浮かぼうとしているが咄嗟のことで軽いパニックを起こしていた。
「キャー!脚が着かないよ、助けて!」と叫んでゼンに手を伸ばす。ゼンは必死にその手を掴み自分の方に陽子の身体を寄せるも、慌てているのか陽子はゼンの首に腕を絡ませる。

しかし身動きが取れないゼンは
「陽子ちゃん落ち着いて、これじゃ二人とも溺れちゃうから、少し離れて」その声で我に返った陽子は、ゼンの首に回した腕を緩めた。その瞬間、二人の間に隙間が出来た。
「ほら、大丈夫だから」その言葉に陽子は安心したのか、少し冷静になった。するとゼンの体温が腕から伝わってくるのが感じられた。陽子はゼンの顔を見つめ、思い切るようにゼンの唇に自分の唇を押し当てたのである。「うぐ」二人は同時に同じ声を上げた。一瞬で離れた唇だったが、次の瞬間、陽子はゼンの目を見つめ、心の中で『もう一回』と呟いていた。声には出ない声だったが、ゼンは頷き陽子の唇にキスをした。どれだけのあいだキスをしていたのか記憶にないが、陽子の初キスは異性の唇に触れたこと以上に、大人への通過点を難なく超えてしまったことを嬉しく思うのだった。
その状況を最初から見ていたみどりが、慌ててユキに近づき、
「あの二人キスしてたよ、お姉ちゃんいいの?」
「いいの、見ない振りしてあげなさい」みどりも、姉であるユキのことが心配になったのだろう。まだ子どものみどりには、見ない振りをしてあげるとか、お姉ちゃんに報告しなくてもいいんだ、ということが分かっていないのだろう。
『あこがれの 君のいる海 ひさしくも こどものころに みたゆめのごと』
子供の頃、ユキとゼンの家族ぐるみで、伊東の海水浴場に来たことを懐かしく思い出していた。こんな日が来るとは思わなかった。
午後の早い時間に伊東線に乗り伊豆高原に到着した。伯父さんが派手にペイントされたペンションのバンで駅まで迎えに来てくれていた。バンの中ではゼンと陽子は肩が触れあう距離で並んで座っている。後ろの席ではユキとみどりが座っている。
『二人の距離感って、すごく近くなっちゃった』
ユキはそんな風に思うのだった。
伊豆高原での出来事はハッキリと思い出せない。うっすらと残る記憶は、夏の終わりの明け方に現れる、重たい悪夢にも似ていた。
窓の外は空も青く空気が透き通り、ユキの大好きな季節が訪れる。
夏休み明けの部室は大盛り上がりだ。
「美佐子先生、聞いてよ。陽子ちゃんったら海水浴にビキニを着てきたんだよ。あたしなんか今年もお子ちゃま水着だし」ユキは先日の旅行のことは肝心なことは言わず、陽子の水着の話を切り出した。
「陽子ちゃん、あれって勝負水着だったんでしょ?」ユキの一方的な話に、陽子は居ても立ってもいられず言い返した。
「だってさぁ、私たちって今年から女子高生だよ。いつまでも子どもみたいな水着なんて着ていられないわよ」そう言われて、ユキは返す言葉がなかった。
ゼンと陽子のキスの話は先生には内緒だ。知られていいのは陽子の口から出たときだけとユキは考えていた。肝心のゼンはどうだろう。キスのことなんか何とも思っていないような顔をしている。
ユキは伊豆高原からの帰りの電車でのことを思い出していた。
電車の中で離れて座っているゼンの喉元から顎、目へと視線を上げるように見つめた。頭の中で『スン』と音もなく不思議な感覚が走った。本気で相手の心の中を覗きに行くときの癖なのだ。
そして、大きな勘違いに気づいた。それとも自分の能力がひとつ上のステージが上がって能力が強くなったのだろうか。ユキは取り返しのないことをしてしまったと思ったら。
『あたしはゼンの心の中を分かっていたと思い込んでいたのかも知れない』
「違う」説明が出来ない。人は心で思っていることが一瞬で変わってしまうこともある。まして高校生の男子なんて女性との関わりがあれば、影響されるのは理屈ではない。
海水浴からペンションに到着したときから、ゼンと陽子は二人で食堂に二人は並んで座っていた。ゼンの頭の中は、陽子とのキスのことで一杯だったことは、ユキには感じていた。そんなゼンを見たくなかったので二人とは別の行動をしていたのだ。夕食の時は何も無かったかのように大人の対応をしていた。
伊豆高原からの帰りの電車では陽子とゼンは二人で離れたシート
に座った。陽子は海辺での初キスで舞い上がっているように見えた。
熱海駅で電車を乗り換えた。陽子はひとつ先の函南駅で下りた。 陽子が降りた後はユキが真ん中に座って右と左にみどりとゼンが座った。「みどりちゃんちょっと向こうの席に座ってくれない」
ユキの気持ちを察して他の席へ移った。そしてゼンににじり寄って隣りに座った。お互いの腕と腕はピッタリと触れている。
こうやって、肌が触れあうと、ユキの能力は、さらに強くなるのだ。
(今はユキちゃんが好きかも)
ユキにはゼンからそんな声が聞こえた。
(この浮気者!男の子ってどうしようもないわね)
「ゼン君、楽しかったね、また来年も行きたいね。冬休みでもいいけど、正月が明けたら頃に、お客さんも減るから毎年行ってるんだよ。また行けたらいいね」
そんな話を振ったらゼンは急に頭の中で、
(陽子ちゃんも一緒なのかな)
「陽子ちゃんは一緒じゃないと思うよ」と、話しかけられていないのに返事をした。
ゼンは驚き目を見開き慌てている。
「ゼン君、あたしの能力のこと知ってるでしょ」
(ユキの能力はそこまで凄かったのか)と。
「そうよ驚いた?この旅行中に能力が更に強くなったの」
(言葉も出せない、頭で考えることも出来ないじゃないか)
「でも安心して、心を読んだわけじゃないの。男の子って単純だから想像で言っただけなの。だってそういうこと言いそうでしょ。ちょっと勘のいい人なら分かることよ」と、ゼンを安心させるために言ったのだが、仮にユキの言うとおりでも、ゼンを恐怖に陥れるには十分だった。
「だからさぁ、あたしに心を読まれたと思ったら『そんなことないよ』って応えるだけで、あたしの想像はただの妄想になるだけだから。でもゼン君って正直だから。考えていることは顔に書いてあるって、よく言ったものね」
ゼンの頭の中から陽子の影が消えているのが分かった。
「いい思い出だったわね」新学期になったら私と陽子を同じように見てくれないと困るわよ。と、ゼンを牽制した。だって今はユキも陽子もゼンの頭の中では同じ大きさなのだから。
『男の子って自分の近くにいる女の子を好きになっちゃうだけ、なんだね。ゼン君だけじゃないと思うけど』
ユキは今まで陽子とゼンとくっつけたいと思っていたけど、
『ゼン君なんてほんとにいい加減なんだから』
それでも男の子って『そういうものなんだ』と分かったら、誰にも遠慮はいらないじゃんと、胸のつかえが取れたようにも思えるようになった。
ユキの頭の中は現実に戻った。
スマホを取り出して「先生、見てよこの写真。陽子ちゃんって可愛すぎる。ゼン君が夢中になるのも仕方ないわね」
「ユキちゃん」陽子は怯えた顔で、ユキの名前を小さな声で叫んだ。
新学期は学校の行事が目白押しである。
ユキはとにかく、初めて感じた楽しさと居心地の良さを壊さない様に、(文学部が楽しければ学校生活も楽しいよね)と、思いつつ、目をぱっちり開き、ゼンと陽子を見つめるのだった。
高校生の男女の関係は、相手の心が分からずに悩み苦しむものであるが、分かりすぎるのもお互いの心を労りすぎることになってしまう。十六歳のユキには重たい現実かも知れないが心配は無いのだ。
ユキはいつもこんな風に思っている、
『大丈夫、富士山が見ていてくれるから』
ここまでです。長い文章を読んでくれて有り難う
今回は残念ながら伊豆文学賞は入選できませんでしたが、今年も頑張って書きたいともいます。
有り難う御座いました。
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