活動は図書準備室を使って行われているが、図書室で本を読んだり、ノートに文章を書く地味な作業をしている。パソコン作業のある部員は部室でパソコンを使っている。ゼンはお笑い系の文章を書くので「インターネットでネタを拾ってくる」と言って部室にいることが多い。

 陽子は毎日せっせとエッセイを書いている。文字数は八百文字だ。原稿用紙二枚分を仕上げてくる。ものの三十分で書いてしまうのには理由がある。書き終わったら、生成AIを使って推敲、校正をする。そのため書き終わった段階での作品の完成度は高い。これからプロのエッセイストになりたい陽子には、生成AIを使うことは必須なのである。オリジナル性については、プロの作家だって編集者さんに作品を読んでもらい修正箇所を指摘させているのだから、

「オリジナルとはいえない」という批判は気にすることはないのだそうだ。

 ユキの得意なのは短歌である。万葉集から好きな短歌を拾い出し、短歌の紹介と解説。読んだときの作者の気持ちなどを推察してブログに公開している。そして万葉集の短歌を元にして、万葉集と同じ意味だけれど、現代の人だったらどんな風に表現するか、万葉集を本歌としてユキのオリジナルの短歌を詠むのだ。難しいと思われるかも知れないが、ユキにとってはとても楽しい時間なのである。

 ユキたちが文芸部に入って一ヶ月が過ぎた。

 今日も思い思いに文章を書いていると、ゼンがトイレに立った。ユキはニヤリと笑い陽子にそっと近づく。陽子の隣に座り、耳に顔を寄せて、こっそりと尋ねた。

「陽子ちゃんって、ゼン君のこと好きでしょ」

陽子は「え、なに言ってんの、そんなこと……」と、最後まで答えることができなかった。好きとも言えないし、

「好きじゃないよ」って言ってもユキには、

「そんなのウソだよね」と、お見通しだろう。そういう能力の持ち主なのだから。少しの情報量で、人の心を覗いてしまうのだ。

そして昨日、ゼンとキスをしたことを打ち明けた。衝撃的だった。

 ユキの話はゴールデンウィークの連休に伯父さんのペンションへ行ったところから始まる。従兄の孝史に相談があって、学校での悩み事を聞いてもらったことや、孝史のジェラート屋で美味しいジェラートを食べたこと、翌朝にペンションで飼っている老犬のチョコと、ユキの能力で、人間の言葉で会話したことなどを話した。

 そして、昨日学校から帰ったらお母さんに電話があった。

「チョコが亡くなった」との知らせだ。

そのことをお母さんから聞いたら、この前、会ったばかりのチョコのことを思い出して、あのときチョコは私に話しかけてくれたような気がしていた。

 チョコが亡くなったことが、受け入れられなくて、ユキは家を飛び出した。「あたし、どうしよう」悲しい気持ちよりもチョコの

(もう逢えない)の言葉が頭から離れず、何も出来なかった自分が許せなかった。どうしようもない感情のまま家を飛び出した。知らないうちにゼンの家の前に来ていた。玄関前でスマホでゼンを呼び出し、玄関を出てきたところで抱きつき、手を引いて近くの公園まで来ていた。

「ユキちゃん泣いてるの、どうしたの」

ユキは返事も出来ないくらい憔悴していた。チョコは自分の最後をユキに伝えていたのに、何も出来なかったことに自分を責めたが、それをどこにぶつけることも出来ない。勢い余ってゼンに、

「キスして」と口を開いていた。何故そんなことを言ったのだろう。全く記憶が無い。

ゼンは理由も聞かず、ユキを抱きしめキスをした。ユキが泣き止むまで何度も唇を重ねたのである。小一時間ほどしてユキが落ち着いたことを確認して、抱きかかるように自宅へ戻った。人の身体の温もりが心を癒やすことは、高校生にもなると男の子も女の子も良くわかっていた。唇を重ねることで更に癒やされることも……。

 ユキは老犬のチョコの気持ちを察していたが、まったく役に立っていないことに、どうしようもない感情に襲われたのだ。

 あいにく今は夜で、頼みの富士山も見えない。ユキは悲しいことがあると富士山を見上げる。話をするわけではないが、富士山を見ていると不思議と心の安寧と勇気がわいてくるのだが、今はそれも出来なかった。

 ユキの胸は苦しみが重くよどんでいた。陽子もゼンもお互いが好きだということが分かっていた。それなのにユキがゼンとキスしてしまったことが陽子の気持ちを裏切るようで我慢できなかったのだ。そのまま黙っていることなどユキには堪えられないことだった。黙っていれば誰も傷つかないのにと、思うようにしたがユキにはそれが出来ないのだ。

 自室に入り、ベッドに潜り込んだ。異変を感じた妹のみどりがユキのベッドに入り、「お姉ちゃん」と声を掛けた。みどりの肩や腕の暖かさに心が落ち着いてくる。知らないうちに眠っていた。

『吾が歌を つましくあれど 声に出し 愛しいひとを 悲しみとよぶ』

悲しい短歌を詠んだ。

ユキが本気で歌人になろうと決意した夜であった。

 ユキの通う富士山の見える高校は夏休みを迎えようとしている。いつもの夏休みなら毎年、ユキはみどりと二人で伊豆高原にある伯父さんのペンションへ、アルバイトも兼ねて泊まりに行っている。ペンションは夏中は満室になることがほとんどなので、孝史の家に泊まることもあった。今年は伯父さんの計らいで、ユキが高校生になって仲のいい友人ができたと母親から聞いていたから、八月の最終週の宿泊客が少なくなってくるのを見越して、ユキたちに貸しきりで利用させてくれると申し出があったのだ。

「ユキちゃんも高校生になったから、勉強も大変でしょ、アルバイトはいいから、夏休みの終わり頃に泊まりにいらっしゃい、みどりちゃんとお友達も連れて来なさいね」と伯母さんから電話があった。

 早速ユキはラインでゼンと陽子に招集をかけた。

『一学期はお疲れ様でした。終業式の後、部室で緊急連絡があります。必ずお集まりください』陽子からはすぐに返信があり、

「なになに、良いこと?」と、尋ねてきた。ゼンからは、

「いいけど、帰りにアイス食いにいかねぇ?」

何かに付け、学校帰りの買い食いは毎度のことだ。

 美佐子先生にも話した方がいいかなと職員室へ行って美佐子先生を尋ねた。美佐子先生のすぐ近くで腰をかがめ、頬に口が触れるくらい近くで、囁くように用件を伝えた。

『先生の顔、こんなに近づけたの初めて』ユキはドキドキしていた。美佐子先生にペンションへ行きましょう。と伝えたのだが

「あんた達は知らないだろうけど、先生の夏休みって、本当に少ないのよ。八月の後半はたぶん出勤になると思う。生徒とプライベートな旅行をしていたって分かったら。ね、そういうことだから」

 ユキには、美佐子先生の「旅行へは行けない」って返事をすることは分かっていたけど、ユキの気持ちは先生に声を掛けなかったことで、後になって自分自身に後悔が残ってしまうことが辛かったのだ。美佐子先生は私を追うようにドアの所まで来て、後ろから声を掛けてきた。

「ユキちゃん、ありがとうね。私のときはそんなに気を遣わなくてもいいのよ」肩を叩かれて、なんとなく満たされた気持ちになって部室へ向かったのである。

「そんなに気を遣わなくてもいいのよ」と言われたが、そこまでしないとユキの気が済まないのだ。これも私が持っている、人の気持ちが分かってしまう能力の面倒くさい所でもある。

 夏休み後半の予定なんか分かっている人はいない。それでも今回だけは全員といっても三人だけだが、それにみどりも含めて四人の楽しい旅行にしたい。高校生らしい青春を感じてみたい。文芸部のみんなと伊豆高原のペンションに行ったって楽しいことだけではないと、分かってはいるけど、みどりも一緒に行くなら、何かあってもへっちゃらだと思えた。

 夏休み期間中は、みどりも高校へ連れて行き、週に二回ほど部室で一緒に夏休みの宿題をしていた。みどりとゼンは小さい頃から知った顔なので、問題はなかった。陽子に対しては『綺麗なお姉さん』と慕っているようだった。

 部室で二人きりになったとき、みどりがユキの近くにきて、

「陽子ちゃんってゼン君の彼女?」

「どうだかね。みどりちゃんも気づいたなら本物かもね、仲が良いのはあたしたち全員がそうだけど、陽子ちゃんはゼン君に気があるみたいだよ」

「お姉ちゃんはいいの、ゼン君とられちゃうよ」

「そういうのじゃないの、もう少し大人になればわかるよ」

「ゼン君をお兄さんって呼べないってことか」

しばらくの沈黙の後ユキは

「バカ!」と、小さい声でみどりを叱った。

 短い会話だったがユキには十分だった。自分の考えを共有してくれる人がいて、まだ中学生の妹だけど

『あたしになにかあったときは、お願いだからそばにいてね』

心の中で思った。

 八月の最終週、ユキたちはペンションへ一泊二日の合宿という名の旅行に出かけた。出発の吉原駅では、ユキとゼンとみどりの三人が電車に乗車した。

 電車は途中の函南駅に到着すると、窓の外に陽子の姿を見つけた。電車のドアが開き、陽子が入ってくる。ユキもゼンも顔を見合わせ驚いていた。陽子の雰囲気がいつもと違う。白を基調にした花柄のシャツにジーンズのミニスカートを履いて、足下は海水浴場の砂浜を意識してサンダル姿だ。

「陽子ちゃんって夏女って感じだね可愛い」ユキの言葉にみどりも

「なんだか恋する乙女かもね」

夏休み中にすっかり仲良しになった陽子に、いきなりこんなことを言う。みどりの発言に不意を突かれたのだろうか、ユキはゼンの顔をチラッと見た。ゼンは何も反応はしていないが目の端で陽子を見つめているのが分かる。

 陽子は大きめの鞄を抱えていたので、ユキは尋ねた。

「まるでお仕事に行くみたいね」

「そうなの、毎日書かなくっちゃ、それにリモートで打ち合わせをするライターの仕事もあるから」と、話す陽子を本当に努力する子なんだね、と褒めた。

 電車は熱海駅に到着した。ここからは伊東線に乗り換えになる。

 目的地の伊豆高原駅へ行く前に、途中の伊東駅で降りて、歩いて直ぐのオレンジビーチという海水浴場へ向かった。ひと泳ぎしてからペンションに行くことになっている。

 陽子はミニスカートの下は既にビキニ水着を着ていた。ゼンには見えないように裾を上げて見せてきたのだ。陽子の好きなオレンジ色の水着だった。

 高校1年生の夏休み。もうすぐ終わってしまうけれど、人生において大きな変化が起こりそうだと、ユキは不安を抱えながらも胸を膨らませている。車窓から入ってくる風は間違いなく伊豆半島の海風だ。むせるような潮の香りも、ゼンと陽子の横顔を通過して私に届く。この瞬間を三人と、妹と一緒に過ごせると思うと嬉しくて涙が溢れそうになる。

 『幸せの 気持ちは不意に やってくる 涙を堪える 準備はまだよ』


投稿者 r65life

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